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執筆者の写真Aiki Hamakaze

漢A井氏特別寄稿「合気道との出会いと四段審査を終えて」:前編

 皆さんこんにちは、初投稿になります漢A井(※1)です。私A井は、去る6月23日(日)の関師範の稽古日に、N原氏と一緒に昇段審査を受けさせていただきました。梅雨の時期らしい曇天の中、武器取り、三人掛けなどを含めた多種多様な審査項目でしたが、私なりに楽しみながら審査を終えることができました。審査をしていただいた関師範と髙野先生をはじめ、普段ご指導くださっている方々、審査にあたり快く受けを了承してくださったT上氏、K江氏、Y本氏、M田氏、N宮氏、M浦氏、ご協力いただいた全ての方々にこの場をお借りして心より感謝申し上げます。


四段審査に臨むA井氏とN原氏

 ところで先日の演武大会翌日の関師範稽古日に浜風合気会の創設メンバーが一堂に会したことは、会員の皆さんの記憶に新しいところだと思います。私にとっても少なからず感じるものがあり、こうして筆を執ってみようという思いに至りました。あの日の出来事は私と合気道との出会いや、私の中の合気道の核に関わることでしたので、そのあたりも含め内容を展開していきたいと思います。


 私と合気道の出会いは2001年の夏、30歳になった年でした。友人を介した衝撃の(?)出会いをきっかけに早20年以上経つと思うと、大変感慨深いものがあります。

 あの頃の私は身体を動かすことは嫌いではなく、しかしそんな機会に巡り合わなかったため、何かないかなと朧気ながら考えていたところでした。期せずしてその年の30歳になる誕生日直前に酷い風邪を引いて咳が止まらず寝込み、医者からは「煙草をやめた方がいい」と指導されていました。このようにしてアラサーど真ん中の中年男は、健康について意識し始めていた頃でした。


 そんな健康志向が高まりつつある矢先、高校時代からの友人T氏から「夏に富士登山しないか」と誘いを受けました。なんといっても日本一高い山にいつかは登ってみたかったというのもあり、二つ返事で行くことを決めました。その時は友人T氏とN氏の3人で行くものだと思っていました。

 ところが後日「一緒に行く人があと3人いる」と聞かされました。私はそれほど気にも留めませんでしたが、実はこの編成で合気道をしていない人間は私のみでした。今考えるとどうやら包囲網が完成した状況だったのです。

 出発日の早朝、集合場所の新杉田駅前ロータリーに行くと、強面の人が立っていました。「なんかちょっと怖いなぁ」などと思いながら、距離を取って他のメンバーを待っていると、T氏が車でやってきて「一緒に行く人達だ」と紹介されました。周りを見ると強面の人が3人に増えていました。心の中に不安の嵐が吹き荒れた瞬間でした。これがT野さん、O澤さん、C葉さんという伝説の「御三家」との衝撃の出会いでした。富士山に向かう車中で何を話したのか全く覚えていません。


包囲されるA井氏@八合目

 30代3名、50代3名の合計6名(うち合気道未経験1名)のパーティーは、屈強な人物3名に若者が守られるという陣形で登山を開始しました。私が合気道をやるに足る人物かの見極めも、きっとされていたのでしょう。私はというと、その頃にはようやく緊張も解けて、むしろ用心棒を雇ったような安心感を抱いていました。不思議ですね。

 さて登山の方ですが、学生時代にブラバンで楽器の心得があった私は、酸素の薄い環境でも呼吸を意識しながら順調に登っていきました。8合目を超えるあたりから、少し歩いただけで息が苦しく鼓動が早まるような環境の中で、途中いくつかのハプニングはあったものの、無事山頂に到達することができました。そして極限の環境を経験した後に隙が生じたのか、帰路の車に揺られる頃にはなぜか合気道をやることになっていました。ニュアンスは別として言葉の上では「(当然)やるよね?」ではなく「(良かったら)やってみない?」というお誘いだったはずです、確か…。


 こうして、幸いにも合気道に出会う機会に恵まれました。武道を習うのは初めてでしたが、折角始めるのであればせめて1年位は続けなければ面白さが分かるはずもないと考え、稽古するようになりました。最初はIHI合気道部に外部からビジターとしてお邪魔させていただきました(※2)。職場が近かったことも功を奏し、定期的に参加することができました。今でこそ冷暖房完備の道場ですが当時は無く、季節感をダイレクトに感じられる精神修養にもってこいの道場でした。ある夏に堪りかねた髙野さんが、壁掛けの扇風機を買ってきて取り付けたのは良い思い出です。

 

関師範のご指導(森中学校)

 稽古を始めて暫くした頃、先輩方から「月に一度、本部道場から関先生という方が教えに来てくださっている」という情報を得て、皆さんの話す様子からもかなり興味を持ちました。そして初めて関先生に教えていただいたときの衝撃は相当なものでした。先生は現在の私と同じくらいのご年齢でしたが、すでに最強の名をほしいままにしていた髙野さん(※3)はじめ数々の猛者を、軽々と捌く様子に感動と深い感銘を覚えました。当時関先生は七段でしたが、「七段って何?神なの?」なんて思っていました。初めてつかんだ手首の太さにも神を感じました。始めたばかりで合気道の「あ」の字も分からないド素人の私にも、関先生は根気よく丁寧に教えてくださいました。暫くすると見取りの受け(※4)にも時々呼んでいただけるようになり、本当に色々と勉強させていただきました。


(後編に続く)



※は、編集者注釈


※1 漢(おとこ)A井:かつて会員限定で公開した、A井氏の男気を弄った動画にちなむ愛称

※2 現在、IHI合気道部ではビジター稽古を受け付けておりません

※3 最強の~高野さん:浜風合気会現代表高野六段。効かない技が大嫌い

※4 見取りの受け:合気道の一般的な稽古方法として、まず師範が手本を見せ(見取り)それを真似て受講者同士が組んで稽古をする。見取りの受けに指名されることは、一定の技量が認められた証でもある


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