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関師範へのインタビュー

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“触れ”の瞬間

不利な状況から始めるのも稽古

 

--- 受け(技をかけられる人)との触れ合いの瞬間「持たれるのではなく、持たせる」とういうことがよく言われますが、このことについてどうお考えですか?

 

 私もそのような言葉を使うときがあります。ただ、稽古では、取り(技をかける人)が自分から持たせるだけでなく、「持たれて」もいいと思うのです。

 持たれるということは、自分が少し不利な状況となることです。そのような状態においても、稽古でいろいろ体を練っていく必要があります。さまざまな状況を試してみて、結局、持たせるほうが自分は有利になる。それを体で感じ取ることができるようになれば、最終的には「持たせる」ということになると思うのです。ですから、「持たれる」ことを経験することなく「持たせる」ことがいいとは、言い切れません。

 とはいえ取りでは、準備を先にしておくことが大切です。相手が近づいてきたから手を出すのではなく、自らの気持ちや姿勢が、相手に早めに向かう準備をしたうえで手を出すのです。これは初心の時からでも、心がければできることです。

 相手がどのくらいの距離に近づいたら、自分が思うように動けなくなるのか、それも稽古を重ねてつかんでいきます。これくらいならまだ余裕がある、このくらいになったら気を付けなけなくてはならないという距離は、人によって違います。人はそれぞれ身長も違えば、パワーも違う、動く速さも違うので、自分の間合いやタイミングは、やはり稽古で経験を重ねてつかんでいかなくてはなりません。私自身、指導者として「それでは間合いが近い」などと言うこともありますが、最終的には自分が一番動きやすい距離やタイミングが、その人にとっての間合いです。

 

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 このことは、正面打ちや横面打ち、突きなど打ち技の時も同様です。「打たれる」ではなくて「打たせる」ことを身につけるには、持たせる技の時と同じく、稽古で色々と試みて身につけていくことです。機先を制されて打ちこまれた場合は、思うように動けず、不利になります。不利なる状況をいろいろと知り、次第に自ら入るタイミングをつかむものだと思います。

 間合いの問題は、最初に取りと受けが接触した触れ合いの瞬間その後も、技の最後までずっと継続しています。取りは崩しに入りますが、その崩しは継続していて、押さえ技なら押さえるまで、投げ技なら投げるまでずっと崩し続けます。時々刻々、変化する状況の中で崩し続けることができて、自分に一番有利な体勢に身をおける距離が、その人の間合いです。ということは、触れ合う瞬間の緊張を、ずっと最後まで継続して保ち続けることが大切になります。

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技はお互いの中心の崩し合い

 

---相手に手を持たせる時、どんなことを心がければよいか教えてください。

 

 反発心を起こさせないように持たせたほうがいいでしょう。敵愾心を燃やすほど、相手は強く向かってきます。力んで手を出すのではなく、さりげなく、スッと手を出せば、自然とつかみたくなるものです。

 また、手首をつかませた時、反動をつけて動かしたり、いったん力を入れてから動かしたりする人もいますが、それは稽古だから相手はついてきてくるのです。実際の人間の反応としては、相手が急に力を入れて動かそうとしてきたら、反射的にそれを止めようとします。ですから、動き出す時は力の加減を変えず、持たせた時のまま動くことを心がけるとよいでしょう。

 次に、持たせた時の感覚ですが、私は相手の力を自分の腕や肩で受け止めるのではなく、肘で受け止めるように意識しています。肘で受け止めるのは、良い姿勢でなければできません。腰が引けたり屈んだりした姿勢でいると、伝わった力は肩で止まってしまいます。ですから、しっかりと良い姿勢で立ち、相手と結んだ接点から自分の肚につながるようにします。この感覚は、投げる時も同様です。肩から先の腕の力を使うのではなく、肚から力を出していく気持ちです。

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---受けが持ちにくい場合も同様ですか。

 たとえば片手を取りに行くのでも、無警戒に相手に近づいて、上から無造作につかむのではなく、突くような気持ちで取りに行きます。すると、当然、待つ時の間合いにも気をつけなければいけないし、自分の一番いい姿勢、安定した姿勢でつかみに行くことになります。実際に相手を押すかどうかは別問題として、手首だけに気持ちをとらわれるのではなく、持った接点を通して相手の肚を意識します。というのも、受けは相手の中心を取りにいっているからです。

 技はお互いの中心の崩し合いです。先ほども話したように、取りは相手の中心を崩し続けて、投げたり、押さえたりしますが、そのような技の動きを身につけるためには、受けも常に相手の中心に向かって行く気持ちで行くことが大切です。

 「受けは相手と合わせる」とよく言われますが、触れ合いの瞬間まではしっかりと攻撃し、その後は取りの動きをじゃませずについていくことが大切です。この時、何もしないでただ取りについていくのがいいように思われがちですが、けっしてそうではありません。崩されたら崩されっ放しではなく、そこから起き上がって相手の中心に向かっていこうとすることでつながりが生まれます。受けは崩されながらも、自分がよく動ける状態を保つようについていくのです。自分から先に倒れるのではなく、常に相手に向かう気持ちでいるから受けと取はつながり、稽古は面白くなります。

 ただ、稽古はつながることが第一の目的ではありません。つながった稽古をすれば良い技術が身につく―---そのための手段であると考えます。

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真剣に相手に向き合う

 

---相手と対峙した時、どんなことを心がければよいかアドバイスをお願いします。

 

 真剣に向き合うことです。

 稽古をする相手は、たいていが顔見知りです。相手がどのように動くかおおよそわかっていても、全然知らない人だと仮定するのです。相手は力が非常に強いかも知れないし、技がすごく切れるかもしれない。そうなると、こちらはものすごく緊張するはずです。本来なら、だれに対してもこのような真剣な気持ちで向き合って稽古することが大事です。

 また、私達はふだん行う技を決めて稽古していますが、理想を言えばその時々の状況に応じて適切に体が動き、適切な技を行えるようになりたいものです。

 合気道には多くの技がありますが、その理由はどこにあるのでしょうか。一教だけですべての状況に対応できる、あるいは四方投げですべて対応できるのであれば、技は一つで十分なはずです。しかし、さまざまな状況に対して、その時々で最適な技、最適な動きができるよう、私達はいろいろな技を日々稽古し、体を練っているのです。

 ところが、決められた状況で稽古していることに甘んじて、決まりった動きを無反省にしていることも多いものです。たとえば正面打ち一つをとっても、相手が実際に打ち込んでくる前から、既に足のつま先が入り身する方向に向いている人がいます。一教ならつま先は相手に向かっているのに、入り身投げになると外を向くのはおかしなことです。つま先が向いている方に行こうとしていることが一目瞭然ですから、本来なら攻撃する人はそちらに打ち込んでくることになるでしょう。

 稽古では受けをとってもらえるので自分ではできているように思いがちですが、本当は重さ何十キロもある人間をそうそう簡単に投げられるものではありません。しかし、少しずつでも上を目指し、今、目の前にいる相手に真剣に向き合って稽古を重ねていきたいものです。

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