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日常に息づく合気道の教え ④

  • 執筆者の写真: Aiki Hamakaze
    Aiki Hamakaze
  • 3月28日
  • 読了時間: 4分

「私はもうダメです・・・これ以上続けられません」彼はそう言いました。


ある日の教習が終わり私はバイク訓練兵小屋に戻りました。薄暗い中、一人の青年がベンチに腰掛けています。年の頃は大学生でしょうか、脱いだばかりのヘルメットが足元に無造作に転がっています。肩をすぼめ、青白い唇を真一文字に引き結びうつむいたまま固まっている彼は辛そうに目を閉じています。よく見ると微かに震えているのでしょうか。随分と小さく心許なそうに見えます。彼の存在のあまりの寄る辺なさに思わず声をかけてしまいました。

「学生さん、学生さん。随分とお困りのようですね」

彼は初めて私の存在に気づいた様子でゆっくりとこちらを見やると、うつろな視線のまま言います。

「私は卒業検定に落ちました・・・。私は落伍者です。田舎の父や母は、私が立派なバイク乗りになる日を今か今かと待っているというのに。私は卒業検定に落ちました。落伍者です」

「学生さん。そんなに思いつめてはいけません。何があったかひとつ私に話してごらんなさい」

私がそう促すと、彼はポツリポツリといきさつを話し始めました。


「あの日はとても寒い日でした。卒業検定受検者は外にある待機所で待てとの命令でした。私の順番の前には7人ほどもいたでしょうか。寒さは確実に私の指の感覚と体力を奪っていきました。待てども待てども自分達の順番が呼ばれないことに我々は少しずつ苛立っていきました」

彼はそこで辛そうにひと呼吸置いて続けます。

「極限の寒さの中、一人が急に暑い暑いと言いながら着ていた服を全て脱いでふんどし一丁で駆けだしていきました。止めようとしましたが吹きすさぶ吹雪に視界が遮られ、彼の姿はすぐに見えなくなりました。ほどなく私の横にいたものが猛烈な眠気に襲われた様子でふらふらと足元がおぼつかなくなりました」

吹雪の中に消えた受検者の安否が心配に思われたのと同時に、卒業検定とはそんなにも過酷なものなのかと言う驚きと恐怖が私の心を一瞬すくませます。

彼は涙交じりの声で続けました。

「その時でした、極限状態に追い込まれ錯乱した一人が食料を奪おうと味方に襲い掛かりました」

あまりのことに驚いて目を見開いた私の視線を避けるように彼は続けます。

「私は人間が怖くなりました。人間が怖くてその場から逃げました。卒業検定を受けずに逃げたのです。私は落伍者です」

こんな時こそ平常心です。どのような状況下でも動じず、力まず、余計な力を抜く。いつも力で何とかしようとしてしまう癖を厳しく直してもらっているのです。ですから私は平静を装い、出ない声をなんとか振り絞り彼に伝えます。

「・・・学生さん、あなたが生きて戻ったことは素晴らしい。少なくともそれは素晴らしいことです。とりあえず、私は残りの受検者のための捜索隊を出してもらえるように本部に掛け合ってきます」

そう言いながら入口に近づいて扉を開けると異様な光景が目に入り足が止まりました。

夕日を背景にトーテムポールのようなものがゆっくりと教習コースを走っています。薄闇に目を凝らすとそれはあの貧相なサンタが乗るバイクでした。しかしその姿は異様です。彼の運転するバイクには合計で何人乗っているのでしょうか。他の教習生たちを乗せたサンタのバイクは見事に教習コースを安定した速度で走っています。しかも全員真剣に1点を見つめ、まるで組体操のようにバイクの上で何かの形を作り上げています。どこかしら彼らの表情には誇らしげなものが見えます。



私の横にはいつの間にか気配もなく教官が立っていました。組体操サンタを見つめたまま彼は言いました。

「50年も教習所にいるとあんなこともできるようになるのか。見事なものだな、まるでインド軍のパレードみたいじゃないか」

見事な技術を身に着けたサンタ、しかし彼は50年間も無為にこの場所に囚われ続けている。学生さん、本来なら彼も卒業できるだけの十分な技能を持っているでしょう。しかし彼の心は壊れてしまった。本来すばらしい才能を持ちながら報われない人々、大国の都合で勝手に引かれた国境線、テロリズム、終わらない憎しみの連鎖、貧困、差別。この世界はなんと理不尽に満ちていることでしょうか。

そんな闇に閉ざされたような世界を思う私の脳裏に、昔聞いた歌の歌詞が浮かんできました。


闇の中ぽつんと光る自動販売機

100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ


「いったいこの世界のどこに100円玉で缶コーヒーが買える自販機があるのですかっ!!今はもう160円でペットボトルの生ぬるいラテしか買えませんっ!!」そう叫んだ私の耳にはふるさとの冬の日本海、鉛色の海からごぅごぅと迫る海鳴りが聞こえてくるような、そんな気がしてなりませんでした。(Yas)


続く

 
 
 

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