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日常に息づく合気道の教え ②

  • 執筆者の写真: Aiki Hamakaze
    Aiki Hamakaze
  • 8 時間前
  • 読了時間: 3分

教習が始まりました。公道は戦場だ、誰も信じるなとそう教えられました。この教習所では普通自動車免許取得済みの者は最短9日で普通2輪免許を取得できると謳っています。

たった9日の即席教練で戦場へと駆り出されるのです。大祖国戦争を戦ったソビエト連邦の兵士たちは2人1組で1人には小銃と弾薬がそしてもう1人には弾薬のみが支給され戦地へと送り出されたと言います。1人が撃たれたら残されたもう1人がその銃を拾い上げ戦闘を継続するのだそうです。小銃を兵士全員に支給する余裕が無いほどの窮地に立たされた上層部の考え出した悪魔の策だったそうです。

それに比べたら1人に1つ普通2輪免許が与えられるだけましかと私は自分を納得させました。何よりも私は盗んだバイクで走り出すためにこの教習所に潜入したおっさんテロリストなのです。贅沢は言えません。


教習用バイクの上も戦いの場でした。容赦なく浴びせかけられる教官の罵声、不安定な二輪の乗り物、戦況を悪化させるには十分すぎる条件が整っています。

そんなときもいつも稽古の教えが私を支えてくれます。肩の力を抜け、脱力だ、バイクの力とぶつかっているぞ、内転筋を意識して下半身を安定させ上半身はその上にそっと乗せるだけのイメージで脱力したフォームから力まずにバットを素直にスイングする。一部我が阪神タイガース不動の3番バッター森下翔太選手(右投げ右打ち横浜市港南区出身)の教えも混ざってしまうほど私は追い詰められました。


バイクの訓練兵だけが集められる小屋があります。どうやら我々はあのきらびやかな未来への期待にあふれた普通自動車免許取得の若者たちとは扱いが違うようです。

その平屋の薄暗い建物に一歩踏み入れるとベンチが何本か乱雑に並べられているのが見えました。薄暗さにようやく目が慣れた頃部屋の奥に誰か人がいるのに気づきました。

随分と痩せたお爺さんです。モジャモジャの白髪頭と立派な白い髭を蓄えた貧相なサンタのようなお爺さんでした。

貧相なサンタは入り口で立ち止まっている私に「早く中に入り扉を閉めろ寒くてかなわん」と言いました。

サンタのくせに寒さに弱いとは随分難儀なことだと思いながら彼に近づくと貧相なサンタは「初めてか?」と聞きました。ここに来るのは初めてかと言う意味だと受け取った私は「ええ」と答えました

貧乏サンタは続けて「今は何年だ?」と聞いてきました。それから間髪入れずに「いや俺がここに入った年を覚えてないのに意味がないか」とつぶやきました。「確か俺がここに来た頃はベトナム戦争が終わったと盛んにテレビで言ってたっけ」と続けました。

昔ベトナム戦争を題材にした映画を見たことがあります。ですので私はベトナム戦争終結の年を知っています。1975年です。


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「50年?あなたはここに50年もいるのですか?」と問う私に貧困サンタは「50年?そうか今はもう2025年か。どうしても卒業検定に受からなくてな」と言いました。

50年間もどうやって・・・とあっけにとられる私に貧民サンタはこともなげに答えました。「ここには屋根がある、だから雨風はしのげる。この建物の裏に小さな畑も作った。そうやって日々を生きて気づいたら50年だ、簡単なことだ」と。

バイクの免許さえあれば干ばつに苦しむ皆が救われると村の期待を一身に背負い、村人全員でかき集めたお金を握りしめてこの教習所に入校したと困窮サンタは言いました。そんな若かりし赤貧サンタは未来への希望にあふれていたことでしょう。それから50年こんな場所に囚われ続けている彼は、村を出たその日以来家族にも会っていないと言います。

「もうみんな俺のことは忘れてるだろう、50年だからな、そもそもあの村がまだあるかどうかもわからない」と自嘲気味に笑う彼の声を聞きながら私は、ふるさとではそろそろ根雪になっている頃だろうかと考えていました。(Yas)


続く

 
 
 

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