まだまだ日差しは鋭いですが、朝晩ずいぶん過ごしやすくなり、秋の風を感じることが多くなってきました。秋の夜長に、というにはまだ早いですが、僭越ながら合気道における「礼」について私見を申し上げます。合気道、特にここでは合気会における「座礼」について考えてみたいと思います。
先日、出かけた先で合気道のとある町道場の会員募集のポスターを見かけました。そこには、合気道を学ぶことのメリットの一つとして「正しい礼が身につきます」と書かれていました。
私は、かつて出入りしていた超流派の剣術サークルで、ある人から聞いた「合気道の礼は間違っている」という話を思い出しました。なんとも癇に障る言われようですが、その人は武家の礼法の基準である「小笠原流の礼法」なるものを学んでいるという風変わりな人(失礼)で、彼が言うには、
「指先を合わせて畳に手を突き、深々と頭を下げる礼(合手礼:ごうしゅれい)は最上礼であり、同輩に対する礼としてはやりすぎである。それでは、更に身分の高い人や神様にはどのような礼をするのか」
ナルホド、合気道は武道である以上、それは「武(家)」の世界であり、小笠原流に照らせば合気道の礼、特に稽古者同士による合手礼は、「その程度として正しくない」ということになるようです。これは、知り合いの神職も同じことを言っていました。
確かに、翁先生の御霊や道場の神前(正面)に対する礼と、同輩たちに対する礼が同じというのは、おかしな気もします。道主や師範の先生方が有象無象の門人たちに深々と頭を下げるというのもヘンかもしれません。
大河ドラマでも(ドラマの考証がその証左にはなりませんが)大名の家臣たちは、平素はその主君に対してさえせいぜい「指建礼:しけんれい(正座で膝の横に指先(安坐の場合は拳)を突く)」(※1) であり、合手礼ではありません。(※2)
古流の剣術や柔術による演武の動画を見ても、その稽古者同士の礼を指建礼に相当するものや、蹲踞(そんきょ)に留めている流派が多いことに気づきます。合気会における礼法の成り立ちについての詳しい資料は、残念ながら見つけられませんでしたが、合気道は比較的新しい体系の武道であるため、その礼法も戦後、合気会という組織の発足とともに制定されたものと思われます。このことは、戦前の合気道の技や慣習を色濃く残していると言われる養神館では、稽古者同士による礼は「立礼」であることからも推察できます。
では、私たちが道場で普段行っている合手礼は、意味のない、間違ったことなのでしょうか?
(vol.2 へ続く)
※1 武士が日常的に正座をするのは、江戸期に始まった慣習である
※2 小笠原流の礼法には、指建礼から合手礼の間にもさらに折手、拓手、双手の三つの段階の礼がある
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