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執筆者の写真Aiki Hamakaze

「合気道にふさわしい礼とは」礼のハナシ (vol. 3/3)

 先の全国演武大会に向けての稽古の折、関師範より「礼の際、頭を下げた状態で二つ数えなさい」というご指導がありました。いっちょまえに礼ができていると思っていた私は、とても恥ずかしくなりました。私が合気道を始めた道場は、そういうことにとても煩いところで「礼三息:れいみいき(息を吸いながら頭を下げる、吐きながら静止、吸いながら上げる)」と耳ダコに聞かされたものでしたが、きれいさっぱり忘れていました・・。

 と同時に「立つ・座る際に、できるだけ背筋を倒さない」ということも疎かになっていると改めて気づかされました。これは、小笠原流でもそのように定められており、所作の美しさのためだけでなく、体幹を使ってできるだけ楽に動くということです。武道的には、油断なく隙のない姿勢の移行であり、体術の根幹といえる技術でしょう。

 特に立ち上がる際、正座から跪座(きざ:つま先を立てた状態での正座)になる段階でどうしても上体が前へ倒れがちになります。これが度を過ぎ、さらに膝や畳に手をついてしまうと「どっこいしょ」という声が聞こえてきそうなほど、だらしのない動作に見えてしまいます。

 とまあ、こういうコウルサイことをヤイヤイ言わないのが当道場のいいところでもあるのですが、演武大会や昇段・昇級審査などの公式イベントになると、その辺がちょっと物足りなく見えてしまうのもまた事実です。普段の稽古からすべてをキッチリやるのは大変ですし、それで稽古自体が億劫になってしまうのでは元も子もありません。

 ですが、受けの上手な方は、例外なく技の上手であるように、正座や礼の所作が背筋がまっすぐ伸びていて美しい人は、間違いなく一目置かれる実力者です。取りとしても受けとしても、背中を丸めて得することは何一つありません。礼の動作も技に繋がる修練として気を抜かず取り組みたいものです。

 「子供相手でも真剣に受けなさい」と関師範がよく仰います。

 合気道の目的は、相手の排除や撃滅ではありません。相手との繋がりにより、お互いを高めていくこととされています。稽古相手には様々な人たちがいます。体力のない子供や女性、上級者・初心者、反応が良い・悪い、背が高い・低い、重い・軽い・・

 この人にはがんばってこうやるけど、コイツにはこれぐらいでいいや、ということではいけないのです。全力で相手を圧倒するのではなく、全身全霊で相手と合わせることが合気道の大切な修練なのです。

 「礼の程度の区別がないから、正しい礼法ではない」というのは、権威ある礼法の基準から言えばその通りなのでしょう。しかし、私たち合気道の徒は、誰とも深く礼を交わすことを模範とし、誇りとすべきなのです。

 普段何気なく行う礼こそが、合気道そのものなのですから。(Z)




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